僧侶や寺族を対象にグリーフの研修の依頼をいただいて、どんな内容でお話しようかと考えていたのだけれど「仏教とグリーフと私」について思い出したエピソードがある。
私(坊守)が死産を経験した直後の話。
当時会社員だった私は産休に入り、人に会うことや外出が怖くて家で泣くばかり。気がついたら日は暮れ辺りは真っ暗で、時間の感覚さえない毎日だった。
そんな時、前住職が「毎日いっしょにお勤めせんか?」と声をかけてくれた。

当時、結婚したばかりで得度もしていない状態。
お経がすらすらよめるわけでもなく、ましてグリーフのただ中にいたので、最初は嗚咽混じりの読経、お経本が涙でかすんで見えない。
それでも、ただただ毎日「じゃあ、明日もこの時間にお勤めしようの」と声をかけてくれ、産休復帰までの6週間毎日続けた。余計な話をするわけでもなく、ただ手を合わせ、声を出す時間がありがたかったし、ゆらぎながらも亡くした痛みを抱えやすくなっていったことはお経の声にあらわれていった。
前住職は、グリーフの知識があったわけではない。
後になって、これはグリーフワーク(大切な人とつながる営み)のひとつだったんだ!と知ったが、前住職はナチュラルに宗教者としてできることを手渡してくれたわけで、それが、私にとって「仏教とグリーフが出会う場所」であり、原点だったのだと思う。えぇおとうさんや。